
福島典子
こころとすまいのお片付け
片付けコーチ
1968年生まれ(名古屋出身)四日市市富田地区在住。
片付けを後回しにしていた私が
あることを機に目覚め、
研究を始めた。
そこから「片付けコーチ」としての
新たな人生が始まる。
片付けは“こころの整理整頓”だと認識し「片付け」で良い環境と循環を作り出したい方、課題を乗り越えたい方、人生を切り拓きたい方向けに 「片付け」の個人コーチを実施。
起業して13年目。今では予約待ちの依頼主が後を絶たな い人気のコーチとなる。
ひとりひとり、やり方も必要性も違って当たり前の「片付け」。納得の片付けは人を輝かせ、人生の土台を強くする。単なる片付けの枠を超え、依頼主の人生に重要な気づきを与える。
個人コーチのほか、グループセミナー、団体の研修会、環境学習ファシリテーター、企業の 5Sコンサルタント業務、特にここ数年は地域や行政からの勉強会や講演会などの依頼も増え続けている。
2010/03/08 ホームページを公開
2010/03/29 営業開始
2010/03/29 ブログを開始
2012/12/07 「中日新聞に記事掲載さぷり面 ~しごとにプラス~」
2013/01/07 三重団地ライフサポート三重西(市民組織)設立研修講演会
2013/02/23 「四日市ホームニュース」(中日新聞折込ニュース)に掲載
2013/03/23 「よっかいち タウン情報 YOU」に掲載
2013/04/30 四日市市シルバー人材センター ホームペルパー勉強会
2013/07~ 四日市中日文化センターで初出講(現在は休講中)
2013/11/01 文化展望・四日市ラ・ソラージュ 31 号 エッセイ十人十色執筆
2014/01/18 四日市市シルバー人材センター 会員互助会講演会
2014/12/01 FM よっかいち Evening Wave「キラり☆北勢ウーマン」出演
2016/07/05 四日市市ごみ減量等推進審議会委員嘱託
2016 伊賀市玉滝地区まちづくり協議会 女性部研修会・三重郡川越町立川越南小学校「子どもの未来を語る会」等
で講演
2017 三重郡朝日町自己啓発事業・四日市市八郷地区連合社会福祉協議会「高齢者大学」等で講演
2017/09/30 ホームページが新しくなりました
2017/10/06 四日市市ごみ収集車イメージアップデザイン審査委員会 副委員長嘱託
2018 四日市公害と環境未来館「わたしのおうち美化プロジェクト」、
四日市市生活環境課「冷蔵庫の整理術~食品ロスを減らそう~」等に出講
2019 「防災ママカフェ® in 四日市」 実行委員会参加・協賛、四日市公害と環境未来館「エコカレッジ」等に出講
2020 四日市消費者協会「片付けのすすめ」、四日市公害と環境未来館「外国人のための地域交流イベント」、
パナソニックリビング名古屋「変わるキッチン~片付けのすすめ~」等に登壇
「私にとっては、大きな衝撃ときっかけ」片付けコーチ

2006年の秋
大好きだった伯母の急死は、とても悲しい出来事でした。持病もなく元気だった伯母。
身近な人が突然いなくなる現実に衝撃を受け、人ってこんな風に突然逝ってしまうことがあるのだと認識が変わった瞬間でした。
母や従姉から、にわかには信じがたい遺品処分の話を聞いた時、私の中のあるスイッチが入ったように思います。(下記「母の作文」参照)今では、「心地よい空間の維持には、まずはモノを減らしましょう」と当たり前のように耳にするようになりました。
気まずさや迷いがあるモノたちに、大量に囲まれて暮らすことは、大きなストレスを毎日浴びていることと同じかもしれません。
「物質的に豊かになっても、幸福度は必ずしも比例しない」
そんな現実に気づいた人たちは、自分をよく観察し何に振り回されているのかに向き合い、そして身の回りを整え始めているように感じます。
「人生は小さな決意の結晶」
自分で選んだもので、自分の人生は出来ている。
「母の作文」 片付けコーチの実母の手記

しっかり者の姑(しゅうとめ)に、42年あまり仕えた私の姉。
姑が存命中は、狭い家ながらも部屋はいつもきれいに片付けられていました。
姑の手前、食事にも気を遣い、インスタントの食材には頼らず、手作りの料理をふるまっていた姉。
姑が92歳で亡くなり、次第に緊張感が薄れていくように見えました。
食事も外食やインスタントの料理が増えていったように思いました。
姑が逝って2年が過ぎ、姉が65歳の時、それは突然訪れました。
くも膜下出血による急死。
5歳しか違わない姉。故郷をともに離れ支え合ってきた姉の死。
悲しみも癒えない数日後、姉の娘である姪から、悲痛のSOS。
「母の遺品の片付けを一緒に手伝ってほしい・・・。」との連絡でした。
普段、姉の家にお邪魔しても、上がることのなかった二階の二部屋が、モノに埋もれていました。
なんとも、入口まで。信じられない光景でした。部屋の奥にあるはずのタンスも見えない。
ベッドの上も下も、全てが隠れるほどのモノ・モノ・モノ。
スーパーの袋に何か入っている。その数、数百個。
袋の中身は、ほとんどが中古衣類でした。
最初は一つずつ中身を確認しながら分別していましたが、追いつく量ではありませんでした。
「どうして、こんなになるまで溜め込んだのだろう?」
私から見ても、姉にとっては娘である姪にとっても、それはゴミに等しいモノでした。
途中から確認もせずにどんどんゴミ袋に入れていきました。一階の台所も、プラスティック容器・ペットボトル・空き瓶・空き缶が山積みで、裏口に辿り着けない状況でした。
トラックに何往復かしてもらい、ほとんど全てのモノが処分場行きになりました。
全てのゴミを出して、その場はすっきりしたものの、何とも言えないかなしい気持ちに囚われました。
「姉にとってはゴミではなかったかもしれない・・・。」
これで良かったのか?と悔やまれました。
捨てられない・片付けられないのは、「もったいない」「まだ使えるかも」との思いがあったのでしょう。
でも、それが積もり積もると、とんでもないことになるのだと実感した悲しい片付けでした。
姉は自分の死期が近づいていると、もし知ることができたなら、きっと片付けようとしたに違いないと思います。誰かに相談したり、手を貸してもらってでもそうしたに違いないと思っています。